google-site-verification: googlea24a52b415544bde.html 江戸の大火の原因と復興景気?江戸っ子は大火により作られた? | 知りたがリスト

江戸の大火の原因と復興景気?江戸っ子は大火により作られた?

2020年のオリンピックのため東京は
いま街の大改造中で、あっちこっちで
工事がおこなわれております。

今回は、NHKスペシャル「大江戸」と
言うTV番組を見てから思ったのは

最近は「江戸時代の良さを学ぼう」と
言う言葉をたびたび聞くことが
あったからです。

そのきっかけになるTVだったと思います。

東京駅周辺のビルの建設予定地を掘っていて
江戸の町人地がでてきたため発掘調査を
おこなっていました。

そこで出てきたものは?

大火のたびに人口増加?

「江戸っ子って」大火により作られた?

などなど歴史好き以外の人も楽しめる

「火事と喧嘩は江戸の華」と言われ
3年に1度の割合で大火に見舞われた

「粋でいなせな江戸っ子」たちの姿を
お伝えできれば・・・と思っております。

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「火災都市」江戸とは?

2年後の東京オリンピックに向け東京八重洲口の
ビル建設予定地では、急ピッチで工事が進められていました。

その工事中、偶然に江戸の町人地が発見されたため
今回、発掘調査をおこなうことに、

さて何が、出てきたのでしょうか?

歴史の証言の現場は何を伝えたかったのか?

そこでわかったのは、掘り進めると江戸は
1603年(徳川幕府誕生)から1868年の
(滅亡)までになんと大火が89回もあり

単純計算で3年に1回の割合で火災が発生して
いたと驚きの調査結果が公表されました。

ちなみに江戸以外の都市を調べてみれば
同じ267年間で京都が9回、大阪が6回

江戸も、大火を含めれば1798回と驚異的な
数字がハジキ出されています。

地層をよく見ると所々に色違いの層がみえ
黒いところからは焼け焦げた木材を発見

そのほかにも屋根瓦が熱で変形し膨らんでる
状態のものが出土、いかに高温にさらされたか
伺い知れます。

火事との戦いで見えてくるものは?

その火災の層の上に盛り土をした層があり
今までに大火に襲われるたびに復興した
痕跡がそこ見えてくるのでした

江戸の人たちにとって「火事」は非常に
身近な存在で極端な話「火事とともに生きてる」と
言う状態だったのではないかと思われます。

現在では、とても理解出来ない事でしょうね。

最近は、研究のための資料が膨大な数にのぼるため
すべてを把握することは、困難を極めております。

しかし前に比べて徐々に解明されてきては、います。

江戸の大火の原因とは?

なぜ江戸は、こんなに大火が多かったのか?

その原因を調べていくとこういう結果が
見えて来るのです。

現代は家電製品が多く使われるため
火災のリスクは断然少なくなりましたが

この当時も同じ生活する上で
「火」は必要不可欠で照明や調理など

による失火が原因として挙げられ
また重罪の放火も多かったようです。

火災の原因は、時代が変われど人が
生活する上でのことだから現代と
変わりませんね。

金沢 江戸時代の建物

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防災の日

季節風?

それと関東平野は、冬から春にかけて
雨が降らず、空気が乾燥し北からの
からっ風が吹いた時に火事が多く

また今で言う「春一番」が吹く時期も
大火が多く発生しています。

この当時の家屋は本当に紙と木材で
出来ているので火災には非常に弱いとされ

下水道の上を板で覆ってたことも延焼が
さらに広がったと推測されています。

人工密集地「江戸」?

江戸は、大火のたびに急激に人口が
増えたために(復興のため全国より人口流入)
家屋が密集しているのもさらなる要因でした。

それよりも、もっと重大な原因があります。
それは、この当時消火する技術も
消火する器具もなく延焼を広げる原因を
作ったのではないかと私は思っています。

※「てごきポンプ」もあったのですが
 火災を防げるものでは、ありませんでした。

復興という名の好景気?

明暦大火の後に早速、復興事業を立ち上げ
大名ばかりではなく商人・僧侶・町人など
すべての人が立ち上がります。

前代未聞ということは、ただ修復するのではなく
街を拡大し防災力を高めるという壮大な目標が
そこにありました。

その中で住民の大移動を行います。

武家屋敷も赤坂・市ヶ谷・小石川などへ
1308件も移動したそうな。神社は芝や浅草へ
70件が移動、町人地は本所・深川へと移動
今で言うニュータウン造りをはじめました。

このように江戸の町は、大火のたびに
人口が増えて行き明暦の大火のあと
50万人から100万人の都市「江戸」が
できあがっていきます。

Japanese castle

江戸城は、
この時消失した天守閣の建設を
断念し、復興資金へとまわします。

ここで疑問が?
なぜこれほどまでの住民の
大移動が必要だったのかと
言うと

ここにも、秘策があったんです。

火災防火帯とは?

それは、防火帯(火除け地)を作るのが
最初からの目的だったからです。

合計17か所の火除け地をつくりました。

なぜこのような火除け地を設けたのかは、
緻密な計算があって延焼から5分の

タイムラグがあれば逃げ延びられる
ところに火除け地が
つくってあるそうです。

明暦の大火で火除け地があるのとないのとで
最新CGで検証したら30分ものタイムラグがあり

明暦の大火の時、火除け地があれば10万人以上の
被害を出さずに済んだのかも知れませんね。

しかしこの復興事業の素早さによって後には
そんなに大きな損害を出さずにすんでます。

Tradition Japanese Fire barrel and buckets from the Edo Period to prevent or extinguish fires in Magome, Japan

大火の後の復興には、全国から物資や職人が
やってきます。復興景気と言われ経済成長を
続け大都市になっていく江戸の姿がここに!

この前代未聞の復興事業がなかったら
もっとこじんまりとした東京にしか
ならなかったでしょうね。

大相撲も明暦の大火の犠牲者を供養すために
回向院の相撲興行が行われ国技館へと変わって

いくのです。また両国橋は火事のときの
防災目的でかけられました。

また現在墨田川の花火大会もこの
当時から行われるようになりました

町火消し制度

亨保の改革の時
町火消しは制度化され、複数の街を「組」として
隅田川から西を担当する色は48組
東の担当する本所・深川の16組が編成されました。

延焼を食い止めるためには
家々を取り壊す「破壊消火」という方法を
とっていました。

一番 火消し半纏

しかしこの町火消しも1720年の
「暴れん坊将軍」吉宗の時なので

それ以前は、逃げるしか手立ては
なかったのでしょうね。

非常に残念なことですが
「手ごきポンプの放水車」は

明治になるまで、待たねば
なりませんでした。

明暦の大火では、今で言う「火災旋風」が
おこったと記されており、その規模は
高さが50メートルに及んだとされ
初めて見る人々は恐怖に慄いたそうです。

大火によって「江戸っ子」は作られたとは?

江戸の火事は、文化も変え
生き方も変えなければ生活
できなかったのではないで
しょうか。

 江戸っ子の生き方も変える出来事とは?

3年に1回の割合で火事に追われる生活の中で
町人たちには「火事とともに生きる発想」が
出来たのでは、と勝手に想像してます。

先程からの発掘調査によってわかって来たのは
当時の家を再現すると「火事」のとき簡単に壊せる

造りになっており家財道具も大きな物はなく
必要最小限のものしかない置かない

「火事」を前提とした
この暮らし方こそが、何もためらうことなく

家を差しだす「潔(いさぎよさ)」につながって
いったと言われています。

お金や物に執着しない?

大火がいつ起こるとも知れない時
いろいろ考えても火事になった場合

今まで築き上げたものが一瞬で灰に
なってしまう虚しさを感じたら

なんか、くよくよ生きてもしょうがない
みたいになったのでは、と私の解釈ですが。

そういうわけで「粋でいなせな江戸っ子」が
育つ環境が整ったのではないかと思われます。

いわゆる「江戸っ子は宵越しのお金は、持たない」
なんてね!

財産なんかを持っていたって大火が起これば
すべてが「灰になってしまう」それより
1日1日を、せいいっぱい生きたほうが幸せなのでは?

また復興を支えたのは商人たちで
江戸の中心から離れた「木場」などに

木材を貯蔵、お米も50万石も貯蔵
町人が半年食いつなげる量を確保し
各所に保管されていて

大火があれば被災地に物資が運ばれ
安い値段で木材を使いタダで非常食を
受け取ることが出来たそうです。

囲炉裏

こういうシステムのおかげで3日もすれば
また元のような生活に戻ることが可能になり

お家も壊すのも簡単なので作るのも簡単
江戸時代って合理的だと思いませんか?

このあと東京になってからも「関東大震災」と
「東京大空襲」により壊滅的損害を
出しながらも本当に「不死鳥の如く」
蘇ります。

やはり江戸時代からの「江戸っ子気質」が
機能しているからだとも思われます。

町人たちは、知恵と工夫と不屈の精神によって
江戸を影ながら支えたのでしょうね。

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まとめ

江戸は、大火の都と言われ3年に1度は
火事に襲われそのたびに復興し大きくなって

行き、江戸はそのおかげで大都市東京へと
ひきつがれていきました。

その東京も戦後70年、何事もなく平和に
過ごしてますが、首都直下型地震や
南海トラフ地震の恐怖が未だにあります。

江戸時代には、大火に悩まされて来ましたが
人間平和になれると「危機管理」能力に
すき間できるのが怖いです。

つい最近の出来事で「西日本豪雨災害」がありました。

今までに経験のない規模で人々に襲いかかり
大損害を与えています。

被害にあった人は口々にこう言います。
「今までは、大丈夫だった」と
それは、「江戸の大火と同じ」で

「まず逃げるが勝ち」

今は毎年のように日本各地で地震・火山・
水害が起こり甚大な被害をもたらしています。

め組 シンボルマーク 火消し

時代は、江戸から東京に変わっただけで
都市機能が変わったわけでは、ないことを
知るべきなんです。

戦後、大きな台風や地震・水害がたまたま
起こらなかっただけ。

江戸っ子の心意気や身軽さなど
不屈の精神は見習うべきだと思います。

よく言われる
「災害は、忘れた頃にやってくる」

そうです。「私のところは、大丈夫」

そう思ったときが要注意!

自分の身は、自分で守らないと
全国各地で防災訓練を実施すべきです。

日頃より訓練してるところは
損害が少なかったということが
証明しています

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